思えば子供の頃から鬱の傾向があったのだと思います。
つらかった一番古い記憶は小学生4~5年くらいの頃、親に怒られて感情の行き場がなく、1人で泣きながら鉛筆をボキボキ折って隠していたいたこと。
私は昔から自分の感情を言葉にするのが苦手でした。
両親のことが好きだから、いい子でいたいから、見捨てられたくないから、そんな思いが私に「反抗する」ということをさせず、さらには折った鉛筆を勉強机の引き出しに隠すという行動に表れていたのだと思います。
私と両親は共依存の関係でした。(今もそんなに変わっていないが)
両親は昔から過干渉で、いつも愛してくれていたのは「私」という名の人間ではなく、空想の姿の人形を見ているようでした。大事に育てられたと言われればそれまでだが、私からするとその人形がいい子に育たないと気が済まないように感じられました。
我が家はとにかく厳しかったため、自由にしている周りの友達が羨ましくその気持ちをやっと言葉にして伝えると、父親にものすごい剣幕で怒鳴られた記憶があります。
酒の空き瓶を目の前で床に投げつけられたこともあります。
そして中学生の頃には既にうつ状態に。
休日動くのがしんどくて泣いている私を過呼吸になるまで追い詰め、「畑の手伝いをしなさい」と無理やり引きずる父親と、父親には逆らえず同じように責め立ててくる母親と。
言葉にできない思いは次第に矛先を変え、鉛筆を折るだけでは気持ちの整理がつかず、中学生の頃には自傷行為に変わっていきました。そしてそれは23歳くらいまで続くことに。
今思えば「なんであんなことをしたんだろう」「跡が残ってしまって夏服を着るのが嫌だ」と思いますが、「生きていくためにあの時はああするしかなかったんだろうな」とも思います。
10年間も続いた自傷行為が何のきっかけで辞められたのかは正直覚えていません。
だけど私の人生に大きな転機をもたらしてくれた人との出会いが大きく作用したことは間違いありません。
その人は当時付き合っていた彼(現在の旦那)です。
このお話はまた後日、別の回でお話しすることにします。
両親とのつらいエピソードを話せばキリがありませんが、これだけされても両親のことがまだ好きだったのです。むしろつらいことをされるたびに「私はいい子でいなきゃいけないんだ」「見捨てられたくない」という思いが強くなっていったのです。
いい子でいることを演じるたびに、本当の自分がどれかわからなくなり、今もなお私はその邪悪な魔法が解けずに苦しんでいます。
18歳で社会人になり色んな情報を探して行く中で、私の子供時代の親と上手く築けなかった関係にようやくピッタリな名前を見つけました。
「アダルトチルドレン」
医療における診断用語や病名ではありませんが、子供時代の家庭環境や親の行動、例えばアルコール・薬物依存、心理的・物理的虐待、感情的ネグレクトなどに起因する心の傷を持つ大人のことを指します。
それによって、過度な自己責任・自己否定・難しい人間関係・依存性・感情のコントロールの困難などの特徴が表れることが多いようです。
アダルトチルドレンの本も何冊か読みましたが、まさに自分のことが書いてあるようで、苦しみに名前がついたようで、救われた記憶があります。
まだ克服はできていませんが徐々に和らいできた私の克服方法をお伝えします。
カウンセリングに通って過去のことを話して、色んな角度から見て整理すること
私はこれがとても大きかったです。臨床心理士の先生と話していくうちに「相手の責任」まで自分で背負っていたのだなと感じました。
そして、親の言いなりにならず自分の好きなことを選んでいいし、自分の好きなように生きていいんだということに気付きました。
当たり前のように感じる人もいるかもしれませんが、私はそう気付いてもしばらくは自分主体で物事を選択することがとても難しかったです。
だって今まで親に好かれるために、いわゆる他人軸で生きてきたから。
最初は戸惑うかもしれませんが、もっと自分の心に正直に生きていいんです。
あなたの再出発を待ってくれている人がいます。
誰も味方がいないと思った時でも、臨床心理士の先生だけは私の再出発を心から願ってくれていることが救いでした。
この記事を読んでくれているあなたも、どうかそう思える信頼できる先生と出会えますように。
そして自分軸で生きていくことができますように。
同じように苦しんでいるあなたの光になれますように。
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